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发表于 2008-9-10 21:53
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外国人として生きる(転載)
故郷松花江
高部さんが両親と二人の姉とともに大阪にやってきたのは、1995年、15歳のときであった。彼が生まれるはるか以前になくなった祖母がいわゆる残留日本婦人であったこと以外、まったく普通の中国農村の少年であった。村では、他の子どもとわけ隔てなく育てられた。日本では日本語をしらぬまま、地元の中学で一年遅れの二年生に編入され、その後高校に入学した。当初は日本語も不自由で、日本人とは友人づきあいもほとんどなかった。もう学校をやめようかとも思ったころ、ふとしたきっかけで、勉強に打ち込み始めた高部さんは、成績がみるみる向上することにおどろいた。すこし自分の能力に自信がつくと、今度は自分の表情が柔らかくなっていくのを感じたという。まもなく友人の輪が広がり、生徒会や文化祭活動など充実した高校生活を送れたと思っている。
そして二年生のとき、ある先生の誘いで入部した美術部で、油絵の世界に魅了されたのである。ことばを超えた最高の表現手段は芸術にあると感じ、毎日のように美術部の活動に没頭した。そして多くの仲間と同様、大学の美術学科を受験したが、失敗してしまう。そこで選んだのが、写真家の道であった。自己を表現する手段として、写真も美術も同じだ。それに、何日も制作にかける絵画にくらべ、シャッターを押すだけの写真は簡単に撮れる、仕事も多そうだ、こんな気持ちもあった。しかし、写真家の道もそんなに易しいものであるはずはない。写真関係の専門学校ビジュアルアーツに入つて写真のすごさにぶっとばされることになった。
毎日授業やハードな提出課題に取り組みながら、他人と同じものを撮っても面白くない、自分を表現するのに一体何を撮ればいいだろうかと高部さんは悩んだ。そこで思いついたのが「中国」であった。それまでの中国は自己を他人と「違う」者にしてしまう存在であった。高校三年生のときに日本国籍を取得した彼は中国の記憶を封印していた。しかし、この中国こそがむしろ他人と差異化を図るための特別な存在であることに気付いたのだ。彼は元気になり、その「強み」を活かすために中国行きを決心した。
約六年ぶりに戻った故郷、中国の高度経済成長の波のなかでその風景は一変していた。人びとの意識も大きく変化し、同世代の若者は高いビルが林立する大都市の風景に憧れていた。しかし、高部さんは自分の子どものころの風景、黒い大地、松花江で戯れる子ども、移り変わる村の四季…を求めた。記憶のなかにあり体験した自分の中国はまだそこにあった。叔母のうちに居候しながら、人びとと大自然とのかかわり方という角度から故郷の風景を写真に収めた。過去への単なる郷愁や村の現実を描こうとする作品にはしたくなかった。自分の原点が故郷にあることを確認し、そこから日本に住み続けようとする自分の生き方が見えた気がした。
南誠(梁雪江):写真家として日中間を生きる『月刊みんぱく』2008年5月号
本稿全文:http://bmbu.hp.infoseek.co.jp/doc/takabe.pdf |
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